鶴岡田川・庄内探訪
月山にも行っちゃった
3日前、品倉山から眺めると、やはり一番上の月山山頂に行ってみたい気持ちになっていました。しかも予報通り好天が続いているのですから。
一応ピーとの朝散歩で月山が見えることを確認してから出発。実はあまり早く行ってもゴールデンウィークまでは志津温泉から先の月山スキー場のある姥沢までは午前7時にならないとゲートが開かないし、リフトは8時にならないと動かないのです。
そんな訳で姥沢の駐車場を出たのは午前8時15分。今日は一人登山です。初めはリフトに乗ろうかの思ったのですが、姥沢小屋前を通り過ぎようとしたら、何と、どこからか師匠のタイチローさんの声が・・・
”スキーヤーとクライマーとの違いを出さないとね!
”
(ギョギョ!そうだな、時間はたっぷりあるのだから・・・
)
とちょって戻って姥沢小屋横から登ることにしました。
今年は去年と違い雪も少ないし、雪も相当緩んでいたので、昨年のルートの上のルートを進むことにしました。が、所々大きな雪の割れ目、クレパスが顔を出していました。念のため、できるだけ尾根の露出しているブッシュに近いところを進みます。登っていると、気温が高いこともあり、暑くて半袖Tにならずにはいられません。
去年はアイゼンが無いと登れなかった右の急斜面のルートですが、今年はno problemです。アイゼンがなくても雪面に足がかかるのです。
リフトで先に到着したスキーヤーをどんどん追い抜いて登って行きます。スキーを履いては斜めに登るしかないので当然ですね。しかし、スキーヤーもあんな板を履いたり背負ったりして、あの斜面を登りますよね~。感心、感心。
山頂には、すでにの数名のスキーヤーが居て、羽黒側に滑って行ったグループもいました。また途中から品倉山、湯殿山スキー場へ連なる峰へ向かうグループもいました。春山スキーは真冬のゲレンデ・スキーとは違う楽しみがあるのです。
山頂付近は結構西風が強く、半袖Tでは流石に寒くて上着をはおります。一応御祈願してからそそくさと下山です。往きの所要時間は約2時間30分弱でした。上空ではヘリコプターが何度も舞っていました。何してるんだろう?(TVクルーかもしれないと、一応手を振ったけど、TVニュースに出るかな?)
やや下りた風の少ない穏かな岩場で大休止です。確か去年もこの辺りでタイチローさんと昼食を食べたような記憶があります。下りの雪面は、上昇した気温でぬかるみ、スノーシューが必要なほどでもありませんが、時々下りで体重のかかった足が膝ぐらいまでズボッと埋もれ、歩きづらい状態でした。
それでも下りは大休止を含めおよそ1時間半でした。今年は雪が少ないとは言え、姥沢駐車場ではこんな感じの雪の壁です。
いつも下山して登った山を見上げて思うのは、”あの山に登ったんだなぁ~”という感慨の思いです。(ちょっと自己讃美かな?)
ああ、また雪焼けしてしまった。![]()
品倉山 春うらら
天気予報によれば今週いっぱい晴天が続くそうな・・・されば暫く行ってない山に行ってみたい!というわけでタイチローさんに声をかけて、品倉山(1211m)に連れて行ってもらいました。
発着点は湯殿山スキー場、ヒュッテ丸森横の駐車場です。すでにスキー場のリフトはシーズンオフでベンチも取り払われいますが、ゲレンデは見事に平に整備され、とても滑りやすそうです。自力で登れる人には今がお勧めのスキー場ですよ。
きれいなスキーゲレンデを荒らすようで恐縮ですが、リフトがダメなら歩くしかありません。広大なゲレンデを二人だけの贅沢なウォーキングです。ゲレンデには下りのアイゼンの足跡が二名分残されていました。恐らく昨日のものでしょう。やはり登っている人がいるんですね~。
第二リフト降り場から見た品倉山です。暫く杉やブナ林のなだらかな雪上を歩きます。バージンスノーをスノーシューで歩くかと思いきや品倉山の麓までは、ずっとスノーモービルで固められたシュプールがあり、往きはほとんど足が埋ることなく、歩くことができました。(助かりました)。
麓からは一気に急斜面となります。所々スノーモービルも流石にひっくりがえったような雪痕がありました。歩幅は狭く、一歩一歩しっかりと足場を切りながら登ります。徐々に気温が上がり、少し緩んだ雪面でアイゼンを着けなくても足場を確保しやすかったことは幸いでした。
ようやく急斜面を登りきったところですが、タイチローさんの後ろは庄内平野側、湯ノ沢岳、母狩山、金峯山の朝日連峰の末峰です。急な登りと強い日差しで、上着はTシャツ1枚で十分、汗でびしょびしょです。風も弱く本当に穏かな日です。
山頂ではタイチローさんから携行ガスコンロで作った美味しい醤油ラーメンをご馳走になり、ゆっくりと頂上で時間を過ごすことができました。風も殆どなく、昼寝が出来そうなほどです。
ここ品倉山からは月山はもちろん、仙人岳、薬師岳、姥ヶ岳も間近に見ることできます。
最後の写真はバックが月山山頂ですが、きっと誰か登っているんでしょうね~。明日から西川町の月山リフトが動き始めるようです。日曜日、月山山頂に登ってみたいなぁ~。下山は安全のためアイゼンを装着して降りてきました。
今日はちょっと顔が雪焼けし、酔っ払ったように赤くなりました。学校から帰ってきた息子から”随分顔赤いじゃあん!飲んでるだけじゃないねぇ~?”と。赤くなりかたが違うようですね。
所要時間は、登り2時間15分、下り1時間半ほどでした。いいオフを過ごせました。感謝。
致道館
あまりの陽気に昼休み、花粉と黄砂舞う屋外へ出てしまいました。ある文を確認したくて致道館へ行ってみました。庭の梅花が見ごろを迎えています。大宝館前の梅と共に早咲きなようです。
致道館は酒井家9代藩主、忠徳(ただあり)が創設した庄内藩の藩校で(1805)、国指定の史跡になっています。
現在、毎週月曜日と年末年始を除き無料で公開されています。名前の由来は論語の「君子学んで以ってその道を致す」からきています。
学風は、天性重視・個性伸張と自学自習で、会業(かいぎょう)と呼ばれる小集団での討議が中心であったそうです。なるほど、探していた文にも一致する学風です。今、大学での最先端教育のPBLの授業とほぼ同じでしょう。凄いですねぇ~。
探していた文は自分の記憶が正確ではありませんが、”大才は大才なり、中才は中才なり、少才は少才なり”というものだったと思います。確か何処の門だったか、上のほうを見上げると木版に書いてあったと記憶しています。異なる生まれ持った個々の才能を存分に発揮せよ、ということです。残念ながら、いくら探しても、係りの人に尋ねても分かりませんでした。
そんな言葉を当院のスタッフに紹介したら、レイコさんが「え~!そんなこと言ったら、人間頑張らなくなるぅ~!」・・・(私の例え話の天才打者イチローに対して)「大丈夫!先生だってイチローになれるかもしれない~!」
あのねぇ~それは無理というものでしょう!兎に角人を煽てるのが上手なレイコお母さんですが、それはオジサンには限界があるというものですよ。
満天の星空のもと”一番御祈祷”
今年も金峯神社の一番御祈祷にタイチローさんと行ってきました。いよいよ山開きなのです。
午後10時前に出発し、車は”禁酒の壷”の駐車場に停めて旧参道を登ります。中の宮で”雪灯篭祭り”が行われているため、一般車両は上がることができません。一般の人のためにシャトルバスが運行されています。
一番御祈祷は28日午前零時とともに山頂神社で行われるので、これに間に合うように登らなければなりません。でも健脚衰えず(?)結局、20分前に着くことができたので、展望台でゆっくり鶴岡の夜景と、満点の星空を眺めることができました。
昨年は吹雪ながら新潟県からの参拝者もいて8人ほどで、例年10名前後の人が山頂神社で祈祷をうけるようです。
しかし、今回は穏な天候で雪も少ないにもかかわらず、我々を含めたったの4名でした。ちょっと寂しいでしたが、神のご加護の分け前は増えるかな?
下りはナミナミのコップお神酒でちょっと千鳥足で駆け下りてきました。飲めないタイチローさん、運転ありがとうございました。それにしても凄く冷えていて美味い酒だったなぁ~(^_^)v
冬の金峯山
午前9時に青龍寺”禁酒の瓶”から始まる参道から登り始める。
中の宮からは雪も深くなりスノーシューを装着。初めての実体験!始めは思ったよりも軽い感じがしたが、登るにつれ腿の付け根外側の筋肉が痛くなる。スノーシューをつけるメリットもあるが、やはり先頭で新雪を進むことはかなりの重労働だ。タイチローさんと先頭を交代しながら進む。
山頂には予定より30分オーバーの2時間もかかり、当初予定していた鎧ヶ峰への到達は困難となる。「12時まで行けるところまで、行こう!」ということで、横風鋭い尾根を進む。
それにしても山の雪景色は素晴らしい!山男たちが冬山に魅せられる理由がわかる気がする。到達目標、鎧ヶ峰を目前にしながら、時間の関係で引き返すことは残念だが、止むを得ない。体力的にも限界に近い。 13時頃に金峯山の展望台に戻る。
ガスっていて何も見えなかったが、暫くすると我々の願いが叶い徐々にガスが薄れ鶴岡市街が見えてくる。所々雲の切れ間から陽もさしている。
(金峯神社の神様、ありがとう。今年も山開きに来るよ!)と心の中で。
展望台でそそくさと昼食を済ませ、下山。流石に下りは速くて午後2時半前に麓の駐車場に着いた。
帰宅後ちょっと疲れたのでお風呂に入り仮眠して歯科医師会の新年会へ。
”スノーシュー” ああ、また新しい遊びをおぼえてしまった・・・(^_^)v
三雪橋から
あんまりお天気がいいものだから、昼休みに用事をたしがてら、月山、鳥海山、金峯山の雪を望めたという三雪橋に行ってみました。
三雪橋はこの内川にかかる橋としては古く、1608年に領主、最上義光がかけたものだそうです。現在の橋は昭和38年にかけかえられたものなようで、名前は明治9年に上述のような理由で三雪橋とつけられました。
しかし今では、鳥海山と金峯山は望めますが、月山は高いマンション建造物で塞がれ見ることはできません。こういう景観も街づくりでは大切なことのように思います。できれば残したかったですね。また今日は金峯にはまだ雪がありませんでした。そんなわけで今日は三雪橋ではなく、一雪橋でした。(^_^;)
残念に思いながら、ふと携帯を見れば山の師匠、タイチローさんから写メールです。なんと!!鎧ヶ峰(金峯と母狩との中間)でラーメンを食べているそうです。ラーメン屋さんがあるわけないから、一式持参されたのでしょう。いいなぁ~、悔しい~!でも月山の美しい姿を見慣れぬ角度から見ることができました。
今日の昼休みは、いい息抜きができました。感謝。
加茂港へ走る
思ったよりも今日はいい天気(?)というか、時々日も差す悪くない天気になりました。よし、海を見に行こう!と思い立ち、さて自分の今の走力を考えると最も近いところ、ということで加茂港に向かいました。
加茂には親戚もいたことから幼少時から夏にはよく泳ぎに行ったものです。昔の海水浴場は今の港の港内、春日神社の前辺りにありました。
さて正午に出発。重い体は承知しているのでペースはゆっくり、ゆっくり。自重しないと帰って来れないかも (^_^;)。途中、大山上池前の魚屋さんに聞いたら”旧加茂坂トンネルは車は通れないけど、徒歩なら大丈夫”、ということで旧加茂坂を進むことに。この坂には懐かしい思い出があります。舗装前の砂利道の時から知っているのですから。
旧加茂坂を一歩一歩進むにつれ、昔の思い出が走馬灯のように懐かしく浮かんできます。そんな思い出を楽しんだのはいいのですが、クライマックスの旧加茂坂トンネルにたどり着くと、入り口から網ネットで完全に封鎖されていました。 (ガクッ!魚屋さん、話が違うじゃないのぉ!)
同じ道を戻るのは嫌なので、藪をこいで!こいで!新加茂坂トンネル前まで突進!スリーセブン(全長777m)のトンネルを通って加茂へ入りました。外気温は4℃、結構冷えてます。
旧加茂中学校も懐かしい。狭いグランドだったけど、昔は結構野球が強くて、鶴一中時代、田川地区の決勝延長で劇的な”さよなら負け”を喫したことを鮮明に覚えています。
でもまだこうして昔の校舎が現存していることだけでも、懐かし味を呼び起こし、嬉しいし有難いことだと思います。
加茂港に面するT字路の右角のお魚屋さんのおばさんと、丁度目が合い、ペコッ!と挨拶。もう湯野浜を経由する余裕はないので春日神社へ登ってみる。
ここからの加茂港の眺めは、バックに高館山のテレビ塔も入り、お気に入りです。昔、羽越線開通前までは物資の搬送に賑わったという港で、加茂の名称も京都の加茂川から由来するとの説もあるそうです。今は私が幼少時にあった造船所もなくなり、漁港として、また加茂水産高校実習船の母港として存在しているようです。
帰りはもう大山まで走るのがやっとで、その後は完全にランとウォークが半々という情けなさ。自宅近くになって一台の車が私の前で停まりました。近づくと助手席の窓が静かに開いたので道でも聞かれるのかと思いきや、なんと華麗なミタムラ夫人ではありませんか!疲労困憊してましたが、お陰でラスト500Mはシャキッ!と走ることができました。ご声援、ありがとうございました。
人間は気持ち一つで変れるものですね~。帰宅は午後3時。疲れました・・・ _| ̄|○ (+o+)
我が家の”大黒様のお歳夜”
今日は”大黒様のお歳夜”です。こういう行事は庄内独特のもののようですが、実際に全国的にはどうなんでしょう?
その年の健康と豊作に感謝、祝う意があるようですが、なんでこの時期、12月9日にこういう事をするのか詳しいことは分かりません。まめに暮らせるようにと、豆尽くしの料理に、まっか大根、頭付きの魚などが副えられます。正直言ってあまりに淡白で現代食に慣れた舌にはもの足りないところですが、納豆汁は美味しいし、大好きです。
お魚は一般的にはハタハタ鰰(?)ですが、我が家はこの時期の鰰は美味しくない、ということでスシャモになってしまったそうです。(そんなことしていいのか?!)
床の間に掛けてある鯛の魚拓は、私の祖父、徳蔵爺ちゃんが、庄内の磯場で庄内竿1本で大格闘の末に釣り上げたものなそうです。土屋竹雨先生の筆による詩が記され、掛け軸としての体をなしています。大きな鯛の収穫を釣り人生における礎的な喜びとして残したかったのでしょう。徳蔵爺さんの喜びの程が分かるようです。でもどちらかというと恵比寿様に似合うような感じもしますね。
”大黒様のお歳夜”の詳しい由来を調べてみたいと思いますが、それにしても、なぜ庄内だけなのかぁ~??
落穂ひろい
シベリアから渡って来ると言われる白鳥の声を聞くようになって1ヶ月ほどになるでしょうか。大抵はV字に編隊を組んで、風の影響を少なくしながら飛んで来ます。
初めは”クワ~!クワ~!”と早朝に、時に暗い夜空からも聞こえてくるのです。まるで「帰って来たよ~、ただいま~!今年もよろしく~!」と言っているかのようです。
でも今年は鳥インフルエンザウィルスの媒体として警戒され、例年のように庄内のあちこちにあった餌付け場が一切無くなってしまいました。白鳥にしてみたら、餌を当てにしていたかどうかは分かりませんが、食べ物にはちょっと苦労するかもしれません。遠路戻ってくれた白鳥たちにはちょっと薄情な気もしますが、止むを得ないかな・・・。
そんなことも影響してか、例年よりも落穂拾いしている白鳥が多いように感じますし、またその仕草がどことなく必死なように見えてしまいます。
ごめんよ、白鳥。
頑張れ、白鳥。
人間も同じようなものだからさ。
間もなく温泉が!
今朝のピーとの散歩道です。
”庄内おばこの里 こまぎ”の温泉施設は、11月上旬オープン予定と記載がありました。でもこの進捗状況だと、ちょっと遅れているのかもしれませんね。
それにしても小真木原にこんな大きな物産館やレストラン、そして日帰りだけど、温泉入浴施設ができるとは、ちょっと前までは想像できませんでした。
入浴施設は、ご覧のように鉄骨造りで地上3階建て(地下もあるのかな?)のなかなか立派なものです。天気のいい日なら、最上階で目前の金峯山・母狩山、そして遠くに出羽三山、反対側には住宅の拡がる平野、夕刻であれば夕陽が沈む西山、北には小さく鳥海山を眺めることもでき、風呂上りにビールを飲みながら上機嫌になれそう。
しかも歩いて帰れるし。(^_^)v この辺りも変わりそうです。
鳥海山 二ノ滝口ルートで鳥海湖へ
あんまり良い天気が続くし、仕事もあるけど雪が降る前に今年一度も登っていない庄内の雄、鳥海山に登ることにしました。
今日は初めての二ノ滝口ルートです。到達目標は謙虚に千畳ヶ原。
ここは月光川沿いに進む渓谷探勝ルートで、途中多くの滝を眺めながら登ることができます。まず一ノ滝駐車場に着いたら登山記録に記帳。1台も車は無し。予定よりおよそ30分出遅れで7時半 (^_^;)。
先ず一ノ滝、二ノ滝、間ノ滝、三ノ滝と観ることができます。絶えず渓流の水音を聞きながら登ることができ、茂みの中ながら爽やか~!写真は三ノ滝です。
間もなくとてもきれいなブナ林に入ります。こんなきれいなブナ林は初めてかもしれません。帰りにはアベックが仲良く座ってお話ししてましたが、デートコースにもいいかもしれませんね。
ここから暫く急な坂が続きます。竜ヶ滝、竜頭滝、不動滝を経て月山沢へ。ここは確かに増水の時は渡れないでしょう。今日は大丈夫、岩の上をピョン!ピョン!飛んで渡って馬の背へ。
対岸はいきなり急斜面。なんとか馬の背まで登りきると少し下界を見下ろすことができ、しばし休憩。やや強風ながら熱い体には涼しくて気持ち良い。
ゴールは近そう。しかし馬の背は急なところもあり、結構長かった~(-_-;)。緩やかな斜面になると涼しく感じた風も寒くてベストで厚着する。木道や石段が見えてきていよいよ千畳ヶ原だ!
とても気持ち良い。これまで誰とも会わなかったし、ここからも人の姿は見えない。結局予定通りの10時30分だ。登りの片道で11時までは登れると思っていたので、さらに鳥海湖へ向かう。ほとんど木道と石段の道。およそ20分で鳥海湖へ。ようやく対岸に小さく人影を見る。
後ろを振り向き庄内平野を遠望すれば先日お邪魔した月山の優しい姿を見ることができる。きっと今日は月山も人で賑わっていることだろうなぁ。
さらに七五三掛へ向かおうかと一瞬思ったけど、帰宅3時30分という家内との約束もあり、ここで昼食をとり、11時11分帰路に。
でもまだ上があると、より上に行ってみたい!という気持ちになりますね。山頂を眺めながら、(今度は・・・)という思いでした。
途中、道を間違ってしまい戻ったりしたので30分のロスでしたが、ほぼ定刻通りに帰宅することができました。
このコースは結構タフでしたから、山頂をアタックするなら、途中で一泊したほうがいいように思います。
でも5時半に一ノ滝駐車場をスタートすれば、日帰りも可能でしょう。4時半頃には戻れるのではないかな。
月山・石跳沢・紅葉
石跳沢(現在のネイチャーセンター)には、昔、湯殿山に向かう修行の人たち(行人)の建物があった所でした。そしてここから湯殿山へ毎日(?)修験へと向かったのです。今は訪れる人も少ない石跳沢ルートは、実は昔からの由緒ある歴史のある山道なのです。
今日、タイチローさんに連れて行ってもらいましたが、緩やかな山道でやや時間がかかるものの(月山山頂まで登り3時間半)、恐らく誰しも湯殿山、月山に至るルートの中で、このルートが一番素晴らしいと感じることでしょう。秋、紅葉真っ盛りのこの季節は、一層魅力的なのかもしれません。
まさに名前のごとく、渓流沿いの石の上を跳躍(?ちょっとオーバー)しながら、装束場まで登って行くルートです。
写真で少しでも今日の感動をお伝えできればいいなぁ~クリックしてみてください。
黒い聖母マリア
修復から帰ってきたというマリア像を見に鶴岡カトリック教会に寄ってみました。
ちなみに鶴岡カトリック教会天主堂は明治36年(1903)にフランスのデリヴランド教会をイメージして建てられたそうで、現在国指定の重要文化財になっています。今や鶴岡市のシンボル的な建物と言ってもいいでしょう。
先日の歯科医師会総会でも信者のオギワラ先生からリフレッシュして帰ってきた黒いマリア像のことについてお話がありました。修復は東北芸工大の先生によりなされたそうで、意外にも修復作業では歯科で使う器具機材も使われるそうです。
さて久しぶりに天主堂内に入りました。シーンと静まりかえった薄暗い堂内は、一歩足を踏み入れただけで厳粛な気持ちさせてくれます。堂内の隅では一人、信者さんが祈っていました。
周囲を見渡し、昔を思い出しました。小学生の頃、堂内で”かくれんぼ”をして遊んだことを。あの螺旋階段を駆け上がった記憶があるけど、あの時静かに遊んだのだろうか・・・そんな音の記憶はあるはずもなく、珍しいと言われる黒いマリア像も覚えていません。
ちょっと見渡しただけでは、黒いマリア像は見つかりません。ゆっくりとさらに前方、祭壇のほうへと足を進めてみました。軋む音。祭壇前の注意書きに目がとまりました。(ああ、本当は祭壇に入っちゃあいけなかったのか・・・)と、幼少時の祭壇に隠れたことを心の中で懺悔。
黒い聖母マリア像は祭壇左横、副祭壇にキリストを抱えて立っていました。黒いとは言え、真っ黒ではありません。東洋人、黄色人種が日焼けしたような黒さです。旧約聖書には「イスラエルの娘たちよ、私はケダルの天幕のようにサルマハの幕屋のように、黒いけれども美しい、私の焦げた色に目をとめるな。私は陽にやけた」とのあるそうです。
日本に一体しかないという黒いマリア像です。一見の価値はあります。
緑の桜花
今日の 昼休み、ヨシカワさんに教えていただいた鶴岡市山王神社に行ってみました。
緑の桜がある?!というのです。
ちょっと境内を見回しただけでは、散りかけながらも明るいピンク色の桜の木と、天に万歳してるような悠々としたケヤキが目に飛び込んでくるだけです。ここは樹齢300年以上の大ケヤキでも有名なのです。
歩いて境内を進むと、ほぼ裏側に何ともない木々の新緑かと思うような、よく見ないと桜とは認知できないような緑色の花の桜を見つけることができました。まったく地味で派手さはありません。
調べてみたら桜の栽培品種で”御衣黄ギョイコウ”というものなそうで八重です。開花時期も通常の桜よりも遅いようです。まだ三分咲きといったところでしょうか。
珍しいですね。
でも私はやっぱり桜は桜色と言われるように、明るい桃色、ピンク色の桜花が好きです。
桜・他にもあるよ、いい所
鶴岡公園は桜とぼんぼり、そして人と出店で賑わい、街の華やかな春の祭典の象徴になっています。
そういう染井吉野の桜もいいけど、今日は私の見つけた、ちょっと地味な、でも見ごたえのある街の桜をご紹介します。
金峯街道沿いに山形大学農学部の試験場がありますが、車道から啓翁桜の林がひと際目に付きます。
思わず傍まで寄って見ましたが、並木の間に茣蓙(ござ)でも敷いて、昼寝でもしたいような気持ちになりました。
もう葉桜になっているかな。。。
もう一つは、七日町の光明寺の枝垂れ桜です。5~6本の枝垂れ桜が咲き乱れ、墓石の立ち並ぶ境内を、まるで天国のように明るく彩っているかのようです。
今年は誰もいない境内で、そして試験場で、静かに桜を独り占めすることができました。
他にもあまり人知れず咲き誇る桜もあることでしょう。もしご存知でしたら是非来年のためにお教えください。
春の月山に”エビのしっぽ”
朝6時にタイチローさんの車で出発。志津に到着したのは7時前。すでにゲート前には7~8台の車が待っていました。オープン間もない月山志津道路は、路面凍結に伴う事故を防ぐために午前7時にならないとゲートを開けないのだそうです。
姥沢小屋の右横から午前7時30分に歩き始めました。リフトは4月10日から運行していますが、午前8時にならないと動かないのです。当然我々は無駄に時間を過ごすわけにはいきませんから、リフトを待ってはいられません。(なんちゃって、ほんとは山を静かに登りたいからです)
雪面は朝の冷え込みで硬く締まっています。下のほうはアイゼンもなく進むこともできましたが、中盤からはアイゼンを装着。しかし私の4本爪のアイゼンでは直登コースは危険ということで緩斜面を探しながらやや遠回りのコースをとることになりました。
牛首の尾根に到達すると、一挙に眼下に庄内平野を、前方には鳥海山を望む遠望が開けます。すばらしい!風もあり氷点下近い寒さなのでしょうが、登る体には心地よい涼しさです。登ってきた路を見下ろせば、動き始めたリフトで多くの山岳スキヤーが蟻のように見えます。まるで要塞を攻め落とさんとよじ登る兵士のようです。ちょっと異様な光景でした。(どうか皆さん怪我などしませんように・・・)
胎内岩は大きな”エビのしっぽ”の化け物と化し、下から登る者の興味をそそります。本来エビのシッポは冬景色の一つなそうですが、この時期にまだ見れるということは今年の冬の厳しさと、ここ2~3日の冬型の気圧配置によるものでしょうか(?)。いずれにしても直に見ることが出来てラッキーです。
風上に向かってシッポが伸びるそうですが、面白いですね。
山頂小屋も氷の塊で、月山神社も雪と氷に埋もれた状態です。
山頂到着は9時50分でこの日の一等賞でした。山頂はかなり風が強くゴアテックスなどの防風着が必要でした。カメラを静止することができないほど、強い風が腕を叩きます。でも記念に山頂でワンショット!
そそくさと
山頂小屋の風陰で一休み。一脚を突き刺し久しぶりにタイチローさんと2ショット!下山途中に昼食をとって丁度正午頃に姥沢駐車場に帰還することができました。
桜満開、春真っ盛りの下界ですが、こちらはご覧のような道路沿いの雪の壁です。それでも春は春です。月山の春は、また違った景色を見せてくれるのでした。
早春の母狩山、カモシカと遭遇
母狩山(ほかりやま)は、鶴岡側から見れば金峯山の後ろに兄のように並んで立っている標高751mの山です。
”母狩”の命名の由来は、この地で戦いに敗れた安部宗任?という人が母と逢うことができたことからと言われ、そのためこの地には阿部姓が多いのだそうです。(文化財散歩)また”姥捨て山”であったということも聞いたことがあります。
早朝6時半に谷定からタイチロウさんと登り始めました。この時間帯はまだ雪も硬く、足もさほど沈みません。一応ワカンは携帯しました。途中強くなってきた日差しで雪の緩んだところでは腰近くまで埋まることもありましたが、結局一度も使うことはありませんでした。
天気は快晴!しばらく良い日が続きましたが、明日からは崩れるようです。なんとか今日、日曜日までもってくれた事に感謝です。
白い山はまだ裸の木々ですが、春を知らせる”マンサク”が初々しく咲いています。雪面を踏む足音は結構大きく、あたりの小さな音がよく聞こえません。
山頂間近は急峻で汗びっしょりです。山頂到着が9時30分ですから、タイチロウさんのよみ通り3時間でした。
山頂からの眺めは、遮る植物も少なく、すばらしい360度パノラマです!鳥海山、月山はもとより、遠くには大朝日、小朝日、そして以東岳も見ることができます。
眼下の櫛引や朝日のまだ雪解けぬ田んぼの白も美しい!
月山の急斜面ではもう地肌が見え始めています。日差しの作る山肌の明暗模様も面白い。
心地よい東風が吹いています。ここで上半身裸になって下着を換えて、お握りで腹ごしらえをして、約30分ほどゆっくりと楽しませていただきました。
下りは、やはり飛び降りるが如くです。途中登ってくる登山者2名とすれ違いました。いずれも高齢者に近い方です。我々と同じでしょうか。
写真は下見時に近距離でタイチロウさんが捉えたものです。多分このときと同じシカと思います。今日は横目で僕らを見て、お尻を向けて山に向かって行ってしまいました。結構いるらしいですね。
帰り道は、雪もすっかり泥濘、平地に降りてきてからは疲労した足に結構堪えました。下りも予定通り2時間です。
でも、楽しかった母狩、早春登山でした。タイチロウさん、ありがとう!
丙申堂・雛物語
丙申堂(へいしんどう)は、鶴岡の豪商・風間家の旧住宅のことで、市のほぼ中央部にあります。この風間家はそもそもは新潟の沢海(そうみ)藩の武士であったそうで、その後商人となり村上、酒田を経て鶴岡に移住されたそうです。幕末には鶴岡第一の豪商となり、庄内では酒田の本間家に次ぐ大地主に成長したのでした。(丙申堂パンフレットから)
現在は国指定重要文化財になり、一般に公開されています。この3月1日~4月3日にかけては庄内ひな街道、鶴岡雛物語として、雛人形、雛飾りが展示されています。
今日、家内と見に行ってきました。丁度団体客も訪れた時で、館内は結構賑わっていました。風間家、真島家の雛人形は本当に素晴らしかったです。東京国立博物館で見た近衛家のものと負けず劣らぬもののように見えます。両家の大きなひな壇に挟まれ、我が家の紫宸殿(ししんでん)も堂々と飾られていました。
私も幼少時に飾られたのを見て以来、家でも飾ったことがなく、だから家人でありながら何十年ぶりの再会です。子供のときはもっと大きく見えたのですが、こうして大屋敷に飾られたこともあるかもしれませんが、今日は小さく見えました。
でも手前味噌のようですが、背景の屏風の柄もいいし、バランスのとれた美しさがあります。またなんと言っても宸殿のお雛様はそう見れるものではありませんから貴重なものだと思います。
改めてここ近年、こういうお雛様や宸殿を自宅に飾ることができなかったことは、残念なことだと思いました。
金峯山山開き 一番御祈祷
昨夜地域の同業者の会合が終わったあと、午後10時からタイチロウさんと金峯山に登ってきました。麓からはシャトルバスが中腹の中の宮まで運行されていましたが、我々は麓に車を置き、旧参道を登りました。
時おり風雪のお天気でしたが、参道を登っているときはほぼ無風でチラチラと雪が舞う程度です。上を見上げればところどころにキラキラと星も見えます。
中の宮からはグループで登っている人たちがいましたが、山頂には一番に到着!
山頂にある金峯神社には宮司さんが一人座って待ってくれていました。少し時間があったので展望台から鶴岡市の夜景を眺めてみましたが、結構明るくて、きれいです。眼下の高速道路のオレンジ色の外灯が目に付きます。山道と違い、ここは風が強く、西からの風と雪が筋のように平野に吹き降りていきます。
28日午前零時。神社本殿に集まった参拝者は8名ほど。私も含めみんな御祈祷していただきましたが、参拝者は地元鶴岡と新潟から半々のようでした。一度参拝してもらうと毎年訪れる方も多く、年に一度、ここで再会する、ということもあるようです。昔は鶴岡からの参拝者の明りが金峯街道に連なっていたほど多くの方が訪れていたそうで、美味しい”ちまき”を売るお店などの売店もあったようです。
本殿の中、参拝者たちの静かな呼吸が炎のように白く吐き出されます。確かに年に何度も開くことのない薄暗い本殿で、正座をしながら宮司のご祈祷を聞いていると古木寒巌な気持ちになり、また来なくてはならないような心境になります。
また参道や中の宮には沢山の雪灯篭が立ち並び、蝋燭の明りは神秘的な雰囲気をもたらします。男女の縁結びのロマンチックなお祭りと称されることも理解できます。
記念に中の宮の大黒様の雪像前でスナップを1枚。今年は大雪のため例年になく大きいようです。帰宅は午前1時半。温かいお風呂に入り、ぐっすりと眠らせていただきました。
黒川の白鳥
今日も昨日に続き、穏やかな休日(建国記念日)でした。折角の連休ですし、閉じこもってばかりはいられません。ホームワークが一段落した午後2時半ごろから、ジョグに出かけました。参加できないけど来週の東京マラソンをイメージしてちょっとlong distanceです。(健気でしょ?)
雪の無い頃の感覚で(これが後悔することに)、黒川橋から赤川沿いに羽黒橋に抜けるコースを想定して走り始めました。
黒川橋を渡り左に赤川沿いの道に入ると、白鳥の餌付け場があります。以前から知ってはいましたが、この季節に来たことがなかったので、白鳥飛来の実態は知りませんでした。
今日はじめて目にしましたが、結構な数の白鳥が来ていて、吃驚してしまいました。写真の右上で遠方になりますが、どなたか陸で餌付けされているようで、何羽か陸に上がっているようです。
土手を下りた川岸では、お父さんと男の子の親子が白鳥たちに餌を与えています。ここは最上川の餌付け場と違い、鴨の数よりも白鳥の数のほうが多いようで、周囲の岸の雪の白と連続しているような錯覚さえします。
さらに土手沿いの道を北上したら、なんと除雪が途絶え、生雪20~30センチ埋れながらのジョギング?(いや歩行だな)となり、ジョギングシューズの中はびしょびしょになり、ひゃっこい、ひゃっこい!もう100M進むのも難儀です。
ちょっと西に目をやれば、朝日連峰の北端になる湯ノ沢岳、母狩山、金峯山が”おぼろ夕日”を背に三山揃い踏みでした。今年は登るからね。
今日は、この後も雪のためコースを遠回りせねばならず、思った以上に走り(2時間も!)、最後はヘロヘロの帰宅となりました。(ああ、明るいうちに帰ってこれてよかった・・・)
明日に影響が出ないことを祈りつつ、早めに床に着くことにします。
新雪の羽黒山石段を登る
今日、そのときが来たのです。昨夜から降り続いた雪と休診日、そしてタイチロウさんの都合とが合致!
というわけで、以前から計画していた羽黒山参道の石段登山を決行させていただきました。
今朝は平地でも30センチの積雪でしたから、山はどうなっていることやら?既に自分の家の除雪で筋肉疲労だし、最近はトレーニング不足もあり、やや体力的にも不安でした。
入り口の随神門に着いてみれば積雪量は市内とほぼ同じで幸運にもすぐ近くに車を置くことができました。
雪の無いときでもそうですが、随神門をくぐると背の高い杉並木の続く別世界、神の世界です。でも新雪の雪化粧した杉並木は、また違った美しさがあります。ほんとうに美しい~!そして静かです、とて~も静かです。
五重塔に一人だけ写真を撮っている方がいましたが、その先には足跡はありません。誰も歩んでいない新雪を膝まで埋まりながら登りました。これでも雪は少ないほうなそうです。
風はほとんどなく、細かい雪が優しく舞います。そして時おり杉の枝が支えきれなくなった溜まった雪の塊がドサッ!と落ちてきます。 タイチロウさんはこれを”爆弾”と呼んで、運が悪いと下を歩いている人を直撃することもあるそうです。
これを食らうと、相当な衝撃で驚くそうです。何と言っても突然首元から衣服と体との間に雪が押し込まれ、とてもヒャッコイのです。参道のあちらこちらにクレーターのように窪んでいるところがありますが、これが”爆弾”の落ちた痕です。そんなことを聞くと、我々は爆雷に怯える潜水艦になったような気持ちになります。
登るに従って雪の量は多くなり「二の坂」辺りでは膝上まであります。膝より上まで積雪があると、腿を持ち上げるのに負荷となり、疲労は倍増します。だから先頭をタイチロウさんと交互に代わりながら登りました。
山頂近い「三の坂」辺りになると腰まで雪に埋もれるようになりました。こうなると本当に大変です。山頂の三山神社の辺りが最高の新雪でまるで水中を泳ぐかのようで、なかなか進みません。こういうところはワカンというものを足に付けるのですが、あともう少しだからこのまま行っちゃえ~!
何とか山頂に着くと、雪の無い時の風景とは違い、三山神社は建物ごと大きなテントに包まれ、石灯籠には大きな雪の傘が乗り、杉の枝は新雪でダランと垂れ下がり、全く違ったところに居るような錯覚になりました。
山頂ではほとんど休む間もなくUターン。帰りは登ってきた道を飛ぶように下りてきました。なんと言っても石段は関係ないですからね。苦労した急坂ほど帰りは楽チンです。
雪山の魅力、雪山の恐さをちょっと感じることもでき、修験の山、羽黒の新たな魅力を見つけることができたようです。穴場ですから、ここだけの内緒の話にしてくださいね。(^_-)
モノ好きな変わり者じゃあなきゃあ、行かないか・・・(^_^;) でもよかったですよ。
10時間ラン&ウォーク!
昨年に引き続き10時間ラン&ウォークを決行しました。コースも同様にR7を南下し、戻ってくるというものです。参加者は僕だけの気ままなプチ一人旅です。
朝5時半に自宅を出発し、気温と体調から約4時間南下したところで戻るスケジュールです。今日は帰ってきたらスタッフとのビアガーデンもあるし、体力を多少温存しておかねばなりません。
出発時の気温は24度、快晴無風で今日も暑くなりそうです。由良まではラン、ラン、ランで快走です。しかし、段々高く上った太陽は体にボディブローのように効いて来ます。ラン、ウォーク、ランとなり、次第にラン、ウォーク、ウォークとなり、徐々に走れなくなります。足はなんとも無くても、気力が萎えてくるのです。
気温はとうとう32度に達しました。アスファルトの路面からの反射熱も勘定すれば、恐らく35度以上になっているのかもしれません。
三瀬の先、堅苔沢(かたのりざわ)、お盆の時期にこの街を歩くと、珍しい光景を目にします。それぞれの家の前にポストカードや年賀状に「馬」の字が書かれたものが下げられています。大抵どの家も4~5枚ぶら下げられています。丁度通りかかった小母さんに聞いてみたら、先祖が「馬」に乗って帰られるように、という思いがこめられているそうです。霊となった先祖への思いやりなんですね。
町並みのつくる日陰を歩いていると、少し走る気力と体力を回復させてくれます。
海に浮かぶ灯台、留棹庵島(りゅうとあんじま)が右手に見えます。釣り客を乗せているような漁船が渡っていきます。釣船も稼ぎ時でしょうか。
五十川からR345に入るルートも頭をよぎりましたが、途中の水分補給ポイントが心配になり止めることにしました。
さらに進むと鈴(すず)に着きます。跨線橋を渡ったすぐ左手にいつも豊富な水を落とす滝があり、そばに小さなお稲荷さんが立っているけど、何と言う名前がついている滝でしょうか。
さらに進むと道端に小さな「赤地蔵」のお稲荷さんがあります。帰ってきて調べたら、昔この辺では船の遭難のため、よく水死体があがったそうで、この辺りの人々はこれを哀れんで建てたものらしいです。
その先には柱状玄武岩が横になり塩俵のような形となっている「塩俵岩」があり、しめ縄が廻らせてあります。塔の立っている岩に登り写真を1ショット!。岩から降りて再び走り始めると、海底温泉の駐車場から出てきた白バイのお兄さんは、僕に敬礼していく?!(なぜ??)
ここまでくれば「立岩(たていわ)」は目と鼻の先。立岩は、この辺りの海岸線のランドマークのように遠方からも確認できるのですが、曲がりくねった海岸線はなかなかたどり着きません。マルバシャリンバイが自生し数千年前の原始の自然が残るという、その頂上はロマンを秘めた岩ですが、きっとベールに包まれたまま見ることはないだろうなぁ。
この立岩の先に昨年見つけた、石碑がいくつか建つ小さな岩場があります。そこには孫の早すぎる死を惜しむ祖父の詩が刻まれているのです。今年も再びその供養に来たい気持ちもありました。詩を口ずさんだ後両手を合わせR7に戻ると、ちょうど道端で作業をしている女性が居たので、この石碑のことを聞いてみました。
19歳で逝った若者はすぐそこで交通事故で亡くなったこと、そして驚いたことに母親はその後、山菜取りで不慮の事故で亡くなったというのです。なんとも悲しい話を聞くことになってしまいました。思わずもう一度合掌してしまいました。
出発してからほぼ4時間、午前9時30分になります。この暑さから余裕をもって引き返した方が生命の安全上よさそうです。結局昨年と同様、浜温海の入り口のコンビニでUターンすることとしました。
近くの日陰で昼食をとり(へへへぇ、ビールも)、ボ~と海の波や水平線を眺め、一休みして帰路につきました。
しかし復路はさらに高く昇ったお日様が走路に日陰をなくし辛い行程となりました。水分補給はもちろんですが、ボーとして熱射による中枢へのダメージが出てくるのです。このため、定期的に水をかぶるとか、冷房の利いたコンビニに入り、体温を下げることに務めました。でも帰省や海水浴で混んでいるお店にいつまでも汗や水でビショビショの格好で居る事もできません。
走るという気力、集中力がなくなりそうなので、昔ボーイスカウトのときに学んだような”スカウト走”を真似、「100歩ウォーク、100歩ラン」を数えながら進むことにしましたが、これは気を集中するうえではいいように思いました。また今日のように無風で陽射しが強いと、走ったほうが涼しく感じることもわかりました。途中のコンビニでいろんなものを飲みましたが、アイスクリームは思いがけず元気を取り戻すサプリメントとして使えそうに感じました。
帰宅時間は午後3時。復路には約5時間かかったことになります。
車で何度も通り過ぎる道も、走ったり歩いたりしないと見えてこないものがあるのは面白いものだと、今年も思ったのでした。
月山、6合目から挑戦
今年は日曜日と重なったため、タイチロウさんと一緒に登ることになりました。
早朝6時に出発し、8時前には月山6合目の小屋を旧月山登山道に沿い登り始めました。
あいにく天気は霧雨でガスり、雨具などを装っての防水装備でのスタートとなりました。
はじめは、ブナの落ち葉の厚いジュータンの上を歩くが如くで、ところによっては倒れた木が山道をふさいだりして、身を屈めるところもありましたが、比較的なだらかな傾斜が続きます。
途中からやや険しい石の露出した道となり、天気のせいか、雨水が川のように流れるところもあり、まるで渓流登りのようです。
こんなとき、完全防水のゴアテックスとビブラム底の登山靴の威力を感じてしまいす。それでも、ほとんど人の足が踏み入られてこなかった苔に覆われた石は滑ります。靴の中は全く快適ですが。
7合目小屋の直前に草の1本も生えない禿山がありますが、そこからルートが途切れてしまいました。昔の記憶から突き進むタイチロウさんもやや不安げです。背丈以上に生い茂る藪を掻き分けること、およそ50メートル。突然視界が開け、7合目小屋の跡地が広がり、今頃ですが水芭蕉も咲いています。
季節に似合わぬ多量の残雪が見られ、これを滑らぬように横切り、さらに川のように水の流れるV字形のルートを進みます。ここから上で3回、現在の車道を横切ることになります。
キリの中、突如道脇から出てきた我々に、丁度通りかかったパトカーのお巡りさんもちょっと驚いた様子。「四つん這いで出てくれば、よがったのぉ。(笑)」と、タイチロウさん。(撃たれちゃうよ~!)
弥陀ヶ原の木道の遊歩道に出て、漸く人の声、姿と接することとなりました。予想以上に多くの登山客が登っており、鶴岡の街中よりも沢山の人たちとすれ違います。
山頂の月山神社ではお払いをしてもらい、「今年一年、家族が健康で暮らせますように・・・」と投げた賽銭は見事、神社の屋根の鏡に当たりました。すると願いが叶うとか・・・?。
遠景は残念ながら望めないものの、すぐ傍の花々に癒されながらの昼食となりました。(人も多いでしょ!)
「今年はとても雪が多い!」とタイチロウさん、まだまだスキーも出来そうです。
所用時間は登りに3時間半、下りに3時間ぐらいかな?
久しぶりの登山に結構疲れましたが、月山に登るなら”六合目から”と感じた登山でした。
是非一度堪能してみてください。我々がルート切り開きましたから、ねぇ!(^_-)
道なき道をゆく
と言うわけで午前中、タイチロウさんと金峯山の未踏ルート?、通称「タイチロウさんの直登Bコース」を経て金峯山に登ってきました。
高坂の楠公館から入った農道から逸れて尾根づたいに登るコースで、冬でなければ草木や藪が生い茂り、とてもアタックできないルートなようです。当然道はありません。
今年は雪が少ないため、膝ぐらいまでしか雪に埋まらず、持参のワカンを使うことなく、進むことができました。前人未踏?とは言え、動物たちの足跡はいたるところに見られました。鹿やウサギが多く、野犬?かと思われる多量の糞もあり、獣道でもあるようです。
帰りは青龍寺中の宮に下りるルート途中から「勘左衛門コース」を通って降りてきました。
この尾根伝いのルートは、所々急斜面や岩場もあり、市民の身近な憩いの山である金峯山に、山岳としての新たな魅力を感じることができました。
所要時間は登りに2時間、下りに1時間といったところでしょうか。
少しずつ装備を整えて、また雪山の魅力を楽しみたいなぁ~と思います。
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とうとう「雪の降るまちを」に
ドサ!ドサ!という音で目が覚めました。窓ガラス越しに外を見れば、一面白くなっています。ようやく市内でも積雪を記録したことになります。重い濡れ雪なので、電線や木の枝、屋根に積もった雪が地面に落下したときに鈍い音がするのです。
10センチぐらいは積もったでしょうか。まだ除雪するほどの降りではなさそうですが、”チリも積もれば山となる”で、油断していると大変なことになります。
中田喜直氏の歌、「雪の降るまちを」の誕生の舞台となった当地は、毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」でこの曲が歌われています。
鶴岡公園には、イメージ地を記念して楽譜とメロディの奏でるモニュメントが建てられています。
今朝、雪の降る中、聞いてきました。
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美味しい庄内柿
今、庄内柿が食べごろですね。ご近所から美味しい柿を頂戴しました。Hさん、ありがとうございます。
写真は美原町の市民農園にある柿の木です。多分庄内柿だと思うのですが、庄内柿は種のないことから、越後の七不思議に次いで、八番目に不思議なものとして「八珍」と名付けられているそうです。ほんとかなぁ?(越後の七不思議とは何ぞや?→http://www.sol.dti.ne.jp/~shiraka/echigo7.html)
庄内は柿の産地としては北限なそうですが、特徴はさっくりとした食感と甘みです。
庄内柿を1個食べると1日の成人の摂取量を満たすという、まさに身近にあるビタミンCの宝庫で、ミカンやレモンよりも多いそうです。
体内をきれいにする手助けにもなるカリウムも豊富に含まれているので高血圧、脳卒中、二日酔い、むくみ、発熱性疾患などにも効果があるとされています。
今日は家内と高橋くんのポスター展を観て、家族皆でお昼を食べて、息子を駅まで送り届け、症例分析に、個人トレーの作製など、明日の診療の準備をして、残りの僅かな時間で少し汗をかいて、特になんてことは無い、でも充実した家庭的な、いい日曜日でした。
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麻耶山&日本国
昨日ほどではないけれど、日曜日の今日もまずまずのお天気です。これなら山に行っても安全に楽しめそうです。という訳で狙っていた麻耶山に登ることにしました。
麻耶山(1,019m)は、鶴岡から金峰山、母狩山、湯ノ沢岳の後ろにそびえる山で、信仰や歴史的にも興味をそそる、登山としても険しく様々に自然豊な特徴をもつ有名な山です。
初めての挑戦なので、越沢から初心者コースを選択しました。山と渓谷社のガイド本のルートに従ったのですが、この著者のルートの原則は楽しみを後半にもってくることです。これは以東岳の時に分りましたが、僕も賛同できる選択でした。
初心者コースは比較的なだらかで、歴史的な跡を辿りながら山頂に到達します。山頂からの鑓ヶ峰(やり)、鉾ヶ峰(ほこ)の眺めに憧れていただけに、実際に目の前にすると感無量です。ちょっと雲がかかり、海や月山、鳥海も確認できず、遠景はイマイチでした。
帰りは中尾根コースを下り、終盤に弁財天滝を楽しませていただきましたが、結局往復3時間の行程で、予想よりも早く終ってしまいました。
まだたっぷり午後の時間が残っているので、ちょっと足を伸ばして県境に位置する新潟県の日本国に登ってみることにしました。この山は登山の魅力というよりは、その名前がユニークですよね。
途中の関川ではお祭りが大々的に催され、路上に駐車するほど賑わっていました。ちょっと覗いて見たかったけど、駐車に苦労しそうで次回にしました。
新潟県の小俣の登山口から登り始めましたが、555mの標高に侮ってしまったようで、また昼食もまだだったので山頂まで1時間ほどの道のりは長く感じましたが、コースはよく整備され特段の急斜面もなく、登りやすい身近ないい山だと思います。
でも疲れたかな?
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種取り
鶴岡の農家の軒下に、こんな風にだだちゃ枝豆が根こそぎ逆さ吊にされています。すっかり乾燥して茶色になっています。
何のためのものか、家内に聞いたら(家内の実家が農家なもので)、「種を取るためでしょ!」(そんなこともわからないのぉ!)という顔。
でも何と言う名称の作業なのかは知らないようでした。
そこでスタッフのタマちゃんに聞いてみたら(タマちゃんは農家に嫁いでいるので)「さあ~?バアチャンに聞いてみます。」という返事。
早速、電話で聞いてくれて、”種取り”という一連の作業なそうです。バアチャンありがとう。文字通り種を取るということなようですが、この後、もう少し干しておいて、ところによっては春までぶら下げておくそうですが、その後モミモミ(?)して種を得て、風通しのいいところに保管して、来年の春に苗作りに使うのだそうです。
大体の流れは分りましたが、タマちゃんの言うモミモミ(?)という行為はどういうものなのか、またこの吊るす行為自体を何と呼ぶのか、何故逆さに吊るさなければならないのか、とまだ少し疑問が残っています。
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「禁酒の瓶」
”中の宮”まではよく車で上がりますが、今日は麓から登ってみました。
恐らく生涯でも2回目ぐらいではないでしょうか?ですからほとんど記憶がありません。
登ってみたら”中の宮”までの参道には、随分と石碑やお墓があるんですねぇ。
数え切れないほど、というとオーバーかもしれませんが、かなり大きな”庚申碑”や”湯殿山碑”もありますし、多くの先生(歌の師匠が多いと思われます)のお墓もあります。
杉の巨木に囲まれた参道は、一見、羽黒山参道かと錯覚してしまうほどです。しかし、草の茂り方からあまり利用されていない道なようで、地元鶴岡の子供たちは、”金峰少年自然の家”が出来てから馴染みの薄い山道になっているのかもしれません。歴史を重ねてきた、また歴史を感じることのできる参道を継承していくべきだと感じました。
さて、この参道の登り口に、「禁酒の瓶」が祭られていました。神社でお払いを受けた後、お札を瓶に入れると、禁酒の願いが叶うのだそうです。
お酒にのまれてお悩みの方、あるいはご家族の方、金峰山神社が救いの神となるかもしれませんよ。
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以東岳、初登頂!
とうとう、念願の以東岳(1,771m)に登頂することができました。
以東岳は、朝日連峰の北端に位置し、鶴岡からは上田沢の荒沢ダムの奥にある”タキタロウ公園”から左方向、東大鳥川沿いの道を進みます。車は、泡滝ダムまで行くことができ、そこから歩くことになります。
以前から日帰りには厳しい山であることは聞いていたので、なかなか一人では不安で、やはり多一郎さんに案内してもらいました。いつもありがとうございますm(__)m
大鳥池までは、つり橋を2本渡る以外、比較的単調な山道が続きますが、雄大、実直なブナ林、豊富な水量を想像させる滝の数々、美味しい湧き水や残雪が楽しませてくれます。途中、サルが威嚇してきそうな場面もあり、初めてホイッスルを吹きましたが、おとなしく群れは遠ざかって行ってくれました。この辺はサルの縄張りなようです。
大鳥池からの往きは、直登コースから頂上をアタック。なかなかの急な登りと悪い足場の連続に、それほど高い山でないけど、頭がクラクラしてきます。(酸欠かなぁ?)あいにく山頂はガスがかかっていましたが、視界はそれほど悪くなく、山頂で昼食をとった後、オツボ峰コースで下山しました。こちらはなだらかで、お花畑も広がり、しばらく暮らしてみたいような景色、涼しさでした。
熊の毛皮を広げたような大鳥池は、水不足のためか、底土で渕が茶色に縁取られていました。
心穏やかに花や美しい峰を楽しませて頂いた後、オツボ峰コースの終盤は結構な急斜面の連続で、膝がガクガクしてきます。”膝が笑う”というやつですね!
大鳥池から泡滝ダムまでの渓流沿いの比較的ゆるやかな下り坂も、それまで急峻で疲れた足には2時間近い山道は堪えてきます。でも次回の楽しい登山計画などを話していたら、思ったより駐車場にたどり着くのが短く感じることができました。時間的には往復約8時間でした。(結構速いペースだと思います)
旧盆過ぎのウィークデーなため、登山客は疎らで、より自然に近い朝日山系の一部を楽しむことができたようです。それにしても、以東岳は、鳥海山や月山とは違い山奥深~い、ふか~い!山でした。それだけに凄い自然が来訪者を歓迎してくているように感じます。今度は紅葉に染まった秋に訪れてみたいと思いました。
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月山へ逃避
友人の奨めで、余目で開催されている「アンネフランクとホロコースト展」を見学した後、あまりの猛暑に午後から月山へ脱出することにしました。
今年はまだ一度も登っていませんが、羽黒側からは何度か登坂したこともあり、一人で登ってみました。月山8合目のレストハウスは新築工事中で来年7月オープン予定なそうです。
そういこともあるかもしれませんが、登山客は閑散とし、人の後姿を見る事もなく進めます。写真も人の姿が写ることは狙わない限りないような状況で、月山の自然をまるで独り占めです。休日しか知らない私には別の山に来たのかと勘違いしそうなぐらい静かで落ち着ける山でした。
山頂の月山神社でお祓いを受けた後、また同じ道を戻りました。山道ですれ違った人はたった4名です。
時間的に余裕もあり、1時間ほど待って、8合目の駐車場から夕陽を眺めることとしました。
ゆっくりと太陽が沈んでいき、それとともに陸地の山並みや平野の凹凸に配られる光と影も少しずつ変化していきます。何もしないで、じっとその景色を眺めていました。
そう言えば、こんな風に静かに景色を眺めることなんか、暫く無かったなぁ。
鳴声から、すぐ傍には鶯(うぐいす)がいるようです。あちらこちらから小鳥たちのさえずり声が聞こえてきます。
流石に肌寒くなってきましたが、下界の暑さを思うと、冷え貯めでもありませんが、もう少しこのまま肌を風にさらしておきたくなります。
酒田沖の飛島を確認することはできましたが、水平線に近くなると、気づかなかった薄い雲に太陽が隠れ、海に沈むような光景は見れませんでした。
平野はぐっと暗くなり、街にはぽつぽつと灯りが点きはじめました。ようやく帰ろうかと、車を動かし始めたら、前方に黒い小さな影が走っています。恐らくウサギでしょう。間もなくヤブの中に入っていきました。
バイバイ、黒ウサギさん。
帰り道を誘導してくれたのかな、ありがとうね。
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由良坂は、本当は弁慶坂?
鶴岡から由良方向へ向かい、峠を過ぎ左へカーブする手前の左側の道路下に、「古跡弁慶清水之址」があり、赤い鳥居とお堂があり、中には三体の石像が祀られています。
手には長刀をもっており、また破損した修理痕などもあり、結構年代もののようにも感じましたが、一体何だろうと思いながら、昨日はこの場をあとにしました。
帰って調べてみたら、鎌倉時代に源義経、弁慶らが頼朝に追われこの坂を通った際に、疲れた主人を思い、弁慶が長刀で岩を砕いて清水を湧き出させたということで、これに因んで”弁慶清水”またこの坂を”弁慶坂”と呼ぶ伝承ができたそうです。この場所は道路工事により3回移設されているそうで、元の場所はわかりません。
だから、本来は由良坂ではなくて、弁慶坂と呼ぶべきとの考えもあるようです。ただ証拠、記録がないから史跡ではなく、古跡なのだそうで、そのために正式名称になれなかったようです。ざんねん!
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鳥海山 初登頂!
鳥海山の滝ノ小屋駐車場から見る日の出です。静かにひんやりとした、手の届かぬ広大な空間に、優し~く風が流れています。御来光に接する時、不思議と厳かな気持ちになるのは、日本人の性(さが)でしょうか。
雲海の向こうに見えるのは月山です。鳥海山には例年になく多くの雪があり、雪面の”spoon cut”の形状は自然の石段のようなステップを作っていますが、所々滑りやすくクレパスcrevasseも顔を出しているので、気をつけなければなりませんでした。
伏拝岳でのツーショット。多一郎さんの後ろ、向こうに見えるのは鳥海山山頂のある新山です。
この後「行者コース」を通り、大物忌神社・新山へと向かったのですが、所々に大きな石、岩がゴロゴロ。辿り着けば2日前にコース頭上の大きな岩盤の崩落があったことを聞きました。度々落石のあるコースなようですが、「危険」や「立ち入り禁止(注意)」などの制限するような標識がありません。多くの登山者で賑わう観光シーズンです。どこが主管しているのかわかりませんが、早急な対策が必要です。事故が起きないと対応がとれないようでは”プール事故”の二の舞いになりますよ~。
新山は大きな岩を積み重ねたようなところで、両手を岩面に張り付かせて蛙のように上ります。両足、片手の”3点支持”が基本。だからスティックは手に持ちません。そんな感じで多一郎さんの後ろにへばり付くようにして山頂に到着することができました。帰りは新山の反対側から降り、「胎内くぐり」を通って、多一郎さんのお嬢さんと、僕は密かに佐知子さんの安産を祈願し、胎内を想定した狭い岩のトンネルをくぐって、生まれ変わったような気持ちになって出てきました。
その後、七高山へ向かい昼食をとり、外輪山コースを経て滝ノ小屋へ帰りましたが、途中「チョウカイフスマ」を発見!ラッキーでした。鳥海山、月山に見られる特有の高山植物でナデシコ科ハコベ属に分類され、学術名はA.merckioides var.chokaiensisです。
薊坂(あざみさか)に見られる「チョウカイアザミ」はまだ蕾の状態で、来週当りが見頃でしょうか。
湯の台温泉で汗を流し、岩の山道で疲労の溜まった足を癒して帰ってきました。
多一郎さん、ガイドは疲れるでしょ?お疲れ様。ありがとうございました。
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旧六十里越街道 蟻腰坂から
「旧六十里越街道」は、鶴岡と山形を結ぶ、昔の街道です。 以前ランニングで松根から十王峠を通り、「注蓮寺」「大日坊」田麦俣へ至りました。
今回はトライアスロン仲間の多一郎さんに連れて行ってもらい田麦俣「蟻腰坂(ありこしざか)」から湯殿山ホテルまでを歩きました。
写真は”ラブラブナ”という木です。なんという木なんだろうと思いましたが、どうやら通りすがら振り返れば、一方のブナの木枝が、隣のブナの木の分岐に刺さり、交接を想像させるために名づけられたブナの木なようです。つまり”love love ブナ”だとすれば随分ハイカラな名前がついているものですね。この辺には”千手(せんじゅ)ブナ”など、面白い形のブナが沢山あり、古より想像力を大いにかき立てられていたようです。
途中112号線を横切るところがあるのですが、街道側には横断を禁止するような立て看板があります。しかし、実際は多くのハイカーが旧街道が112号で遮断されているので横切らざるを得ず、看板は事故時の道路の維持管理者の責任逃れのようなものです。新参道路の112号を通るドライバーに注意を喚起する標識の設置など、早急の事故防止策が望まれます。
”笹小屋跡”から”とうふ道”を通り”参篭所”に至るルートを通りましたが、靴を脱いで渡る渓流もあったりして、山岳道としても楽しめるコースでした。それにしても渓流の水は足が凍りつくかと思うような冷たさでした。(>_<)。
街道のいたるところに存在する旧跡に、この奥深い山道が馬や通行人で賑わっていたことを容易に想像され、感慨深いものがあります。古人の信仰への情熱、智恵、そして忍耐、体力には感服する思いでした。
帰りは湯殿山ホテルに前もって準備しておいたマウンテンバイクで旧112号(六十里越)を正に転がって下りて来ました。気持ちよかったぁ~!途中の路上で野生の猿に歓迎されたりして、スタートからゴールまで爽やかな風に包まれて、ネイチャー・ライディングも楽しむことができました。
「旧六十里」「六十里(旧112号)」「112号(現在)」の歴史の街道を比較した時、我々の文化は豊な自然との隔離を進めてきたことが分ります。それは豊な四季の自然に育まれた日本人の心との離別でもあるように感じます。いろんな意味を含め旧六十里越街道を大事に残しておきたいですね。
そんなことも感じながら、とても素晴らしい一日を過ごすことができました。多一郎さん、ありがとうございましたm(__)m。
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牛渡川”梅花藻”&丸池
伯母さんのリクエストに応えて、今日は梅花藻(ばいかも)を見に行って来ました。
庄内地方では遊佐町(ゆざまち)の牛渡川(うしわたりがわ)が有名ですが、事前に遊佐町役場へ電話で問い合わせたところ、今年はあまり開花していないとのことでした。ここ暫く天気も悪かったこともあり、なかなか観に行くことができませんでしたが、今日は久しぶりに朝から青空が広がったこともあり、伯母さんと母を連れ観に行くことになりました。
梅花藻(ばいかも)は、多年草のキンポウゲ科の植物で、学名はRanunculus nipponicus var. submersus です。直訳すれば”水面下の日本のラナンキュラス(お玉じゃくし)”という意味になりますでしょうか。きれいな水に生息する植物なようですが、牛渡川は100%の湧き水ということもあり、このところの長雨でも本当に透き通ったきれいな水でした。
その牛渡川沿いにある鮭の孵化場の後ろに、丸池があります。ここは県内唯一の湧き水のみからなる池で、昔から神の住むところとして崇められていたようで、丸池神社が傍に建っていました。
確かに澄んだ水で、低い水温のため湖底の樹木も腐敗することなく見ることができます。青森県の十二湖の一つ、青池のような雰囲気があるところでした。
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夏が来た! かな?
今日は久しぶりに青空が拡がり、真夏のような天気となりました。蝉も待ちかねたように鳴き始めています。
写真は鶴岡市湯温海の海水浴場。向こうに見えるのは暮坪の立岩です。「マルバシャリンバイ」という暖地性低木の自生北限地で、頂上は人が登れないので自然原生林と言われています。また落ち武者をかくまった所とも言われ、小さい島ながら、内容がいっぱいです。
こんな景色を見てると、思わず「夏が来れば思い出す・・・」(歌)と口ずさんでしまいます。このフレーズのあとの歌詞は皆それぞれでしょうが、少年時代の夏の日の思い出が懐かしく蘇ってきます。
夜、中学(旧鶴1中)の同窓会の準備会がありましたが、懐かしい面々からの便りが届いています。楽しみです。
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”鶴岡ハチ公像保存会”
ピー said「冷房の効いた部屋に入りたい!」西日本ほどではないですが、こちらも蒸します。
さて渋谷の忠犬ハチ公像の試作品が鶴岡(藤島)にあったこと、忠犬ハチと鶴岡の人”斎藤弘吉氏”と縁があったこと、など鶴岡と忠犬ハチ公、ハチ公像との縁については以前ご紹介しました。
なんとかこのような渋谷のハチ公像の兄とも言える像と鶴岡との縁を地元の人たちにも紹介して、この鶴岡の像の保存とともに動物愛護に献身された斎藤弘吉氏の顕彰、そして動物愛護活動も発展させようとする市民活動が芽吹いております。また既に渋谷から鶴岡のハチ公像の貸し出し依頼などもきているようです。
そのような活動をする会の名称が決まり、”鶴岡ハチ公像保存会”となりました。
しかし、ここで一つの根本的な壁にぶつかっております。
それは鶴岡のハチ公像は鶴岡市の所有物です。市の所有物を特定の市民グループが活用すること、そして活動を発展させたい場合、どのようにしたらいいのか?ということです。
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お盆
毎年7月13日は鶴岡ではお盆です。
お盆は、仏教の盂蘭盆(うらぼん)に由来すると言われます。盂蘭盆(うらぼん)は、サンスクリット語の「ウランバナ(逆さにかかる)」あるいはイラン語の「ウルヴァン(霊魂)」の音写語なそうです。
盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana)とは、安居(あんご:僧侶の修行)の最後の日、7月15日(旧暦)を盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん:逆さ吊り)の苦を救うという行事であるそうです。
日本における時期は、明治6年に新暦が採用されてから複雑になっていますが、
- 旧暦7月15日にあたる日
- 新暦7月15日
- 月遅れの新暦8月15日(旧盆とも)
の3つに分けられるようです。
そうなると鶴岡の7月13日というのは全国的には珍しいのですね。どうしてこうなったのでしょうか、またどこで決められるものなのでしょうか?
いずれにしても盂蘭盆を営むうえで肝心なのは、亡き人の縁によって今私が念仏に遇うことができ、仏のみ教えにめざめさせていただくことによって、生かされていることを知った喜びをあじわうことなそうです。だから盂蘭盆会は「歓喜会(かんぎえ)」ともいうのだそうです。
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「十二滝」
平田町の経ヶ蔵山(きょうがくらさん)を流れる田沢川に見られる滝です。
走って(自転車)で鶴岡から約2時間で着くことができました。
十二滝の近くは500mほど上りになりますが、舗装道路が完備されていますから、ロードレーサーですぐ傍まで行くことができます。
自動車も間近に駐車場がありますから、徒歩は5分ほどで済みます。ただ十二の滝をはっきり見るためには、遊歩道~つり橋を渡り対岸に登って見なければなりませんから、多少登り下りしなければなりません。
なかには下のほうに「合格滝」なる細い滝もあり、ご祈願がてら子供の受験の時にでも来なくてはいけないかと思いましたが、先ずは紅葉の季節にでも経ヶ蔵山、胎蔵山の登山を兼ね、また行ってみたいところです。
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「七ッ滝」
講義で山形へ向かう途中、久しぶりに田麦俣の「七ッ滝」に寄ってみました。
新緑が生い茂り、七つの滝を確認することはできませんが、豪快な瀑音が聞こえてきて、マイナスイオンが一帯に漂っている感じがします。
ここから先の旧国道112号・六十里越街道はまだゲートが閉じられていて、先に進むことはできませんでした。
旧六十里越街道「蟻腰坂(ありこしざか)」への入り口には、立派な門柱と丁寧な案内の看板も設けられ、初めての人も迷わずに進むことができそうです。
鶴岡市朝日庁舎・産業振興センターでは、「旧六十里越街道」を紹介するDVDやビデオを貸し出していますが(無料、約10日間:0235-53-2111)、なかなか人気なようです。
私も観てみましたが、BGMも効果的で、いにしえの霊山としての出羽三山・湯殿山の存在と人々信仰心の深さを知ることができ、一見の価値があります。行けない方でもなんか行ったような気分にさせてくれますよ。
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病に効く苔?「千金滝」
名瀑と言われる「千金滝」ですが、多分ここではないかと思います。農作業をされていた地元の人に聞いたのですが、もう何年も何十年も行ったことがないという返事が返ってきて、ちょっと不安になります。
上山谷から山神の石碑のあるところまで車で行けます。そこから15分ほど歩くと、字が消えて読めなくなっている白い標柱があり、道がふた手に分かれます。その右手を沢沿いに何度も砂防ダムを乗り越えて上がると、およそ20分ほどで右側に「これかな?」という滝がありました。
昔、加藤清正の子、加藤忠広が徳川幕府によって丸岡(旧櫛引町)に配流されたそうですが、この忠広が疝気(漢方医学の病名で、腰が痛む病気)を患っていたそうですが、ここの滝つぼの苔(こけ)を飲んで治したそうです。それで「千の金にも代え難し」ということで「千金滝」と名づけられたそうです。(庄司秀春氏著「行ってみませんか、ちょっと知らない場所へ」より)
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鶴岡の幻の忠犬ハチ公像
「忠犬ハチ公像保存会および資料室設立実行委員会」に誘われて行って来ました。
私の祖父の池野勇は当地で開業する医師でしたが、犬猫の避妊手術の助成などの動物愛護活動にも熱心で、その活動は祖父が亡くなった後も娘である私の母に引き継がれ、今も続いています。そんな関係からお声がかかったのです。
忠犬ハチ公像が東京の渋谷駅前にあるのはほとんどの人が知っていますが、その兄貴分にあたる試作像が、鶴岡市・藤島にあるというのです。
鶴岡に到達すまでには面白いストーリーがあるのですが、もう少し理解してからご紹介できればと思います。
このストーリーを情熱的に解明されたのは、藤島の薬剤師の高宮さんで、これまで地元や全国の新聞にも取り上げられています。
今後、鶴岡と所縁の深い幻の忠犬ハチ公像と、日本の動物愛護の創始者・斎藤弘吉氏の偉業(この方も鶴岡出身で偉い方です)を讃え、保存する活動に携わることになりそうですが、私自身は愛犬ピーとの関わりしかないので、お役に立てるのか心配です。
でも地元の人たちの情熱と、不思議な縁に魅せられ、少しでもお手伝いさせていただこうかと考えています。
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金峯山・母狩山縦走
「金峰少年自然の家」から出発しました。
ここから金峰山頂へのルートも初めてで楽しみでしたが、結構な急坂で、ロープやチェーンの張ってあるところが何箇所かあり、最後は這うようにして展望台に登頂(金峯山458m)。小学校では4年生でここを夜間登山させるそうですが、ちょっと厳しい危険な感じがします。ここが金峯神社と母狩山へ向かう分岐点で、あとは尾根伝いに母狩山に向かいます。
途中昔、竜が住んでいたという伝説のある「竜神ヶ池」に寄ってみましたが、あまり長居したくない雰囲気があります。
中間点の「
鎧ヶ峰」(566m)も眺めがよいのですが、この日は薄く雲がかかり展望はあまりよくありませんでした。
ここで一休み、昼食をとりました。
また尾根伝いなのですが、グッと下ります。ここまで登ったのだからもったいない気分になります。下るということはまた上るということで、ある地点から急な登りの連続になり、それまでの疲労もあり度々足は止らざるを得ない状態になりました。
それでもなんとか母狩山初登頂!(751m)
ボーイスカウトのときの披露困憊で途中で退却した挫折から、30数年ぶりでようやくリベンジすることができました。
お~い!あの時ボーイスカウト仲間だったU君、T君、やったぞぉ~!!今度会ったら詳しく話すから。
N隊長お元気ですか~?!ご無沙汰してます。僕たちは、少年時代のあの体験がとても悔しくて、心の奥の方でずっ~と挫折感を感じていました。
今思い起こせば、あれは山谷ルートなのでしょう。多分途中からルートを外れ、サバイバルナイフや屶で道を切り開きながら進みました。水筒が空になりみんなで分かち合い、草木茂る急斜面に腰を下ろし疲れ切って小休止したことを覚えています。
暑い夏の日の訓練でした。
帰りは谷定へ降りましたが、初めはかなりの急坂です。
途中からは緩やかな渓流沿いの道をせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら、また蛇やイタチに出くわしたりして谷定の柿畑に降りてきました。
あとは平地を青龍寺、高坂と歩いて番田まで帰ってきましたが、これも結構な距離がありました。
時間的には午前11時に自然の家を登り始め、自宅到着午後5時でした。歩行距離は約20キロでしょう。ちょっとに疲れました。
予定では帰りに山谷から鶴岡で一番の滝といわれる「千金滝」や「琴塚」に寄ろうかと思っていたのですが、また今度改めて行ってみたいと思います。
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西羽黒 荒倉神社
かつては”西羽黒”と称されたという荒倉神社(あらくら)に、栄枯盛衰の様を見ることができます。
恐らくそのまま営まれていれば、現在の善宝寺以上の存在であったのではないでしょうか。東の羽黒に対して、西の匹敵する存在であったからの呼称でしょう。
1590年、秀吉の検地に全国各地で一揆があったそうですが、この荒倉山もその拠点だったそうです。上杉軍により此地の33の宿坊は壊され、宿坊の人やこれに関係する村人たちまでもが処刑されたということです。これにより西羽黒の歴史に終止符が打たれたのです。
33の宿坊は、現在の羽黒のそれと同等でしょう。
この神社は農全般の神とともに、馬の神も祭られているとあって、本殿前の石段両脇には馬の石像が睨みをきかしていました。
驚くような立派な石段が、苔を生して荒倉山の登り口である”山口””竹野”の参道にあり、写真のような本殿に繋がります。
この地域には他にも悲劇の由縁を地名にもつ場所や古代の遺跡もあり、歴史の憂愁を感じるところで思わず頭を垂れ合掌したくなります。
今度は全国的にも稀に言われるイチョウ林の黄葉を、秋に見に行きたいと思います。この悲しい過去をもつこの山に、昭和の初め、歴史を越えてイチョウ林を作った鉄砲撃ちの佐藤氏の活きな寄進に感謝したいと思います。
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日本で2番目に古い油絵
祖父母のお寺が羽黒町手向(とうげ)にあり、ここは雪の多いところなのでお彼岸の墓参りはできず、毎年5月連休明け、この時期に行きます。
手向は門前町で宿坊が多くあります。
和尚さんと話をしていたら、このお寺のお堂に日本で二番目に古い油絵があり、先日、学芸員の方が調べに来られたそうです。支障ないということで見せてもらうことにしました。
その絵は天井板の一枚に描かれていました。水の青色はまだ色鮮やかで、描かれている場所は最上川、酒田港かと思いきや、江戸墨田川なそうです。
その他の天井板にも金魚とか、鬼とか、一般的な花の絵柄とは違うユニークなものが沢山見られます。しかし、油絵はこれだけなそうです。
思いも寄らず200年前の日本の油絵に出会えて、心ウキウキでした。
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十王峠 じゅうおうとうげ
本「六十里越街道にかかわる歴史と文化」によれば、旧六十里越街道の庄内側の登り口は、松根の八幡神社辺りになっています。実際行ってみましたが、最初から草茫々で途中からは立ち入り禁止の札もあり、とても車で登れそうな道ではありませんでした。
結局「東岩本」から入るしかなさそうです。この道は完全に舗装されていますから、車でも自転車ロードレーサーでも十王峠を通り注連寺に達することができます。
写真は十王峠から月山ダムを見下ろす方向です。雲がかかっていなければ向こうに月山も写ってくるはずです。
写真の反対側では開けた庄内平野を見下ろすことができます。昔、この峠から眼下の広がった平野を目にした時、旅の終点の近いことを知り、安堵したことでしょう。
昔の旅人の苦労が偲ばれます。
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天神祭り
今日は鶴岡天神祭りでした。
合併後初めてのお祭りでしたが、好天にも恵まれ多くの人出があったようです。
例年よりも、ちびっ子”化けもの”が多いように感じました。
こういう伝統的なお祭りが、発展的に踏襲されていくことは大切なことだと思います。
やっぱり、お祭りは見るよりも、参加しないと面白みも半減しますね。
化けものになって、酒を注ぐ知り合いが少しずつ少なくなるのは、寂しいものです。
まさに 「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」
プラス 「祭りに出て来いよ!」とも言いたい。
家の中に閉じこもってたり、ゴルフに出かける奴がいるんだよなぁ~。
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熊野長峰 くまのながみね
以前からいい所だとは聞いていましたが、近いのでいつでも行けるという気持ちもあり、今まで一度も足を運んだことがありませんでした。
この度ついに行ってきましたが、想像していた以上に素晴らしいところです。頂上からの展望もよく、お天気によっては男鹿半島まで観えるそうです。歩道やベンチなども要所は整備されていますので、比較的気軽に登ることができます。駐車場(大谷)も広くとってありますが、途中の車道はすれ違いが大変です。
時間的には駐車場~山頂~湿原と回って1時間半ぐらいです。鶴岡からなら往復3時間みれば帰って来れます。
今は水芭蕉、猩々袴(ピンク色)が主に咲いています。水芭蕉は少し時期が過ぎたようです。でも綺麗ですよ。
4月下旬からゴールデンウィーク中が一番いいようです。
近郊でまだ行ったことのない方、お勧めです。
床屋のマスターに言わせれば、大机の水芭蕉はもっと素晴らしいそうです。今度足を運んでみましょう。
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笠とり峠 馬ころばし
いつも車で通る7号線、三瀬ー小波渡間の車窓上部にも見ることができ、国道に覆いかぶさるような側壁に道が通っています。
そこは昔、通行人の被っている笠も飛ばされるほど強い風が吹くことから、その名が付いたといいます。かの俳人、松尾芭蕉も通った道だそうです。
都合がつき念願かなって、ついにここを通ることが出来ました。今でも車で通ることは出来ず、そのため鶴岡から自転車でいくこととしました。
「峠」制覇のついでに、ルートは鶴岡から三瀬に至る途中、水沢から中山峠を通り、清水で喉を潤してから到達することとしました。でもここの水は、いつ飲んでも最高です!
笠とり峠は途中から砂利道で、自転車はロードレーサーなので準備してきたスニーカーに履き替え、片手で自転車を押して歩き通しました。
この途中に”馬ころばし”という突出したところがあって、その昔不用となった馬をそこから捨てたそうです。
そんなことを思いながら絶壁の下の国道や遠くの海を眺めると、愛馬を捨てざるを得なかった飼い主の辛さや馬の哀しさを感じてしまいました。
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湯田川温泉”梅林公園”
湯田川温泉の見どころの「梅林公園」の梅花の見ごろは、まだこれからです。
これからお出でのバンケさんご一行様、今年は遅れているようですから、GWも十分楽しめます。安心してお出で下さい。
さて梅は学術名「Prunus mume」だそうです。 豊後梅は「 Prunus mume var. bungo」です。prunusはラテン語で「すももの木」で、古ラテン語のplum(すもも)が語源だそうです。mumeは、江戸時代梅の呼び名が「ムメ」だったそうです。へぇ~!?
英語では「Japanese apricot」です。apricotだけだと杏、杏の木となります。ラテン語でapricor(日向ぼっこをする)、apricitas(太陽の暖気という)という単語がありますが、春を知らせる暖かな陽気を感じる意味がこめられているように感じます。
4月April の由縁もこれにつながるでしょうか。
因みに梅干は、英語でもUmeboshi(梅干,pickled Japanese apricot(梅の漬物))です。
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飴なめ地蔵
現在の湯田川街道の途中にあります。
今の鶴岡高専の辺りに昔は射撃場があったそうで、旧藩時代は練兵場があったそうです。
昔は”塔の腰山”(「こうじやま」とも呼ぶ?)と呼ばれる丘を道が通っていたそうです。僕が2~3歳の頃、かすかにこの丘を歩いた記憶があります。
街道の途中には茶屋があり、湯田川出身の祖母は鶴岡の女学校へ通う途中、この茶屋を利用することがあったらしく、美味しかった御餅の話をしていたそうです。
冬は腰まで雪に埋もれながら女学校へ通った話を聞いたことがあります。一緒に通った友達は皆結核で亡くなったそうです。
きっと「おしん」の頃でしょう。そういう時代だったのです。
写真の”飴なめ地蔵”の由来はよくわかりませんが、お地蔵さんの口元には確かに飴がおいてありました。
飴のなめ過ぎか、口元が黒くなっています。
歯がないからむし歯にはならないだろうけど、なめさせたら口元を拭いてあげましょう。
本来は安産成就、悪病消滅を願ってのお地蔵さんのようでした。
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